あさイチ出演!篠原涼子は若い頃にコスパの良い寿司でバイト!地元愛って?!

2018年11月9日
NHK放送「あさイチ」篠原涼子さんが初出演

下積み時代はハイ コスト パフォーマンスの寿司店の
6畳一間で住み込みバイトをしていた?!
今だから笑えるエピソードの真相を激白

桐生市出身の篠原涼子さんは地元愛が強く
ノーギャラで観光大使として大活躍!

そんなトークが繰り広げられる篠原涼子さんの素顔を検証します

新宿の寿司店で住み込みバイトをしていた下積み時代

桐生第一高校を3ヶ月で中退し
本格的にタレントを目指して上京した篠原涼子さん

上京した次の年に東京パフォーマンスドールに参加(1990年)

東京パフォーマンスドール時代は
自分たちでチラシを配って集客を行い
原宿のライブハウス・ルイードを拠点として
観客数人の状態から活動をスタート

レッスンは毎日10時間のハードスケジュール

メンバー間でイジメや足の引っ張りあいなどがあり
気心がしれていない同世代女子の寮生活が嫌だった篠原涼子さん

金銭的余裕がないこともあり、考えついたことは
6畳一間での住み込みバイト。

その住み込みバイトをしていたのは
新宿にある「吉亀寿司」

東京パフォーマンスドールでグループ内ユニット
『原宿ジェンヌ』結成。

そのユニットの相方であった川村知砂さんとともに
住み込みバイトをしていたと。

吉亀寿司ではその他にも
歌手の河口恭吾がバイトしていたり

東京パフォーマンスドール出身の
仲間由紀恵の目撃情報もあったりと

コストパフォーマンの高いバイト先だそうで
様々な芸能人が出入りしているとの情報あり。

新宿にある「吉亀寿司」とは
地下鉄丸の内線「新宿御苑前」徒歩7分
都営地下鉄新宿線「新宿三丁目」徒歩10分

良好なロケーション

ランチがお得でリーズナブル。
夕食のコース料理もボリュームが多いくお手頃価格。

そんな吉亀寿司住み込みバイトをしていたのは半年間
今だから話せるエピソードとは

店ではアルバイト職員に禁止されていた行動
「お客さんが残した寿司を同じく住み込みで
バイトをしていた友人と交代で
見張り番をしながら食べていた」

というお話

収入の少ない時代
そんな形で空腹を満たしていたことも
ありました。

 

『恋しさと せつなさと 心強さと』の激動期

 

1990年でデビュー後
1994年に『恋しさと せつなさと 心強さと』をリリース
Wミリオン突破など激動の時期スタート

一気に忙しくなり
当時は自分でも何をやっていたのか
よく覚えていないぐらい

“お祭り騒ぎ”
がずっと続いているような感覚でした。
当時を振り返る

あの国民的スターとはもちろん
小室哲哉氏のこと。

「僕がイメージしているメロディにぴったりな声だったから」
きっと小室さんには普通の人には
見えないことがいろいろ見えていたんですね。

と世間からまだ知られていなかった
活動中のライブを見に来てくれた
小室哲哉氏の情報収集力について説明。

『恋しさと せつなさと 心強さと』の
レコーディング時に
今までは出せなかった高いキーを

小室哲哉氏から
「歌えるよ。必ず出るよ。やってみて。」と言われ
一つずつ上げていった出せた一番高いキー。

「こんな限界突破をさせてくれる
すごい人がいるんだ!」と当時の驚きを表現

レコード会社の人も小室さん自身も予想していなかった
ヒットに腰が砕けるみたいな(笑)

あの時小室さんに出会わなかったら
今の自分はいなかったと思います。
本当に感謝しています。

やりたい方向にシフトチェンジしてくれたのも
全部小室さんのおかげですね。

と国民的スターと当時の盛況ぶりに振り返る。

本当に歌いたくてもう5年ぐらいずっと
会社に言い続けているんです(笑)
現在は楽曲作成にも意欲的

大人になった今の自分が歌うべきものを
しっかり考えていきたいことや
作詞とか楽曲制作にも関われたらいいなと
意気込みを語る

 

桐生市出身の篠原涼子さんは観光大使として大活躍

群馬県桐生市出身の篠原涼子さん

桐生市観光大使のポスター撮影をボランティアで活躍
案内パンフレット内でも観光大使ぶりを発揮

桐生市で行われた成人式に
ビデオメッセージでの祝福の辞を送る
など地域振興に貢献

篠原涼子さんのお父さんへの愛情は特別なもの

 

お兄さんお姉さんを持つ篠原涼子さん
2歳の頃に交通事故のためお母さんを失い
その後、父子家庭に。

お父さんは男親1人で3人の子供を育て上げました。

お母さんの記憶はほとんど無く

料理など全てを
お父さんから教わったとのこと。

お父さんの愛情あふれる環境で育ち
苦労もともにしてきた篠原涼子さん

市村正親さんとの25歳の年の差の結婚に
猛反対したお父さんを2年かけて説得し結婚

25歳の年の差の男性を旦那さんに選んだ篠原涼子さん
お父さんっ子だった裏付けとなるでしょうか。

闘病中だった父から出された結婚許可の条件
「孫の顔を見せること」

2008年5月に出産してお父さん孝行も

お父の闘病生活も架橋になってきた
2010年に結婚式を行い
お父さんは涙を流して喜ばれたと。

その3日後
安心したかのように
お父さんは他界。

そんなお父さんとの関係には
特別な父子愛が存在したことは
言うまでもありません。

1990年台のメガヒットの活躍の裏には
様々なエピソードがありました。
今後の音楽活動にも意気込みを見せる篠原涼子さん。
私もファンの1人として今後の活躍がとても楽しみです。

 

参考
「ボクらの時代」(フジテレビ系)出演時トーク
映画『SUNNY 強い気持ち・強い愛』公開後のORICON NEWS

 

 

 

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